「心の休ませ方」という本を読んで残ったこと

心の休ませ方―「つらい時」をやり過ごす心理学

心の休ませ方―「つらい時」をやり過ごす心理学

ちょっと前に親切な友達が貸してくれた本です。
まあこの本の言うことが全部正しいとは思っていませんが、心に残った文章をつらつらと書いてみて、
それぞれ「当てはまる」◎、「一部当てはまる」or「ほう、そうですかと思うもの」○、
「自分には当てはまらない」×、「自分の周囲の人にわかってほしい」☆、「自分で忘れないでいたい」!に分類してみました。
自分で言うのもなんですが、暇ですよね。(わざわざExcelで集計した・・・)でもやってみたかったんです。


一部抜粋してみます。(それでもすごく多い・・・)


・親から利用されて育ってしまうと、人から利用されることを当たり前と受け取ってしまう。
・周囲のずるい人間からいいように利用されても「憤慨する」ということがない。
・しかしその間、本人が気がつかないうちにものすごい量の憎しみが心の底にうっ積する。その憎しみを吐き出す方法が分からないままに限界を超えた時に、人は憂うつになる。生きることに疲れる。どうしてよいか分からなくなる。
・そしてこういう人たちは周囲の人の悪口を言いながら生きている。それは不幸になることそのことが、その人たちにとって復讐になっているからである。惨めに生きることが復讐になっている以上、相手の言うことを聞こうという意思がはじめからない。
・不幸にしがみついている人は、不幸になるより他に憎しみの感情を表現する方法が分からないのである。
・相手が憎らしい。しかし相手に愛着もあるので、「私はあなたが憎らしい」と言えない。そうした時に「私は不幸だ」と言うのである。
・ここで「拒絶」という意味は、相手にとって都合のいい存在にならないかぎり、受け入れられないということである。また周囲の人の心の慰み者のような存在になっているということである。
・搾取されている時に、人は搾取されているという実感を持たないのだろう。逆に自分を搾取している人を、「その人なしに生きることはできない」と錯覚してしまう。人は搾取される度に、自分を頼りなく感じるようになる。自分は誰かが側にいないと生きていけないように感じる。誰かと「つるんでいなければ」生きていけないように感じる。
・過去にこだわるのは、いま、動けないからである。
・あなたは会社に行って周囲にいい顔をするのがイヤなのに、「イヤ」と意識もせずに毎日会社に行っていい顔をしていた。毎日のことなので、意識はされていないが、確実に心は日々傷ついていた。



・人が幸せになるためには、憎しみの感情が取り除かれていなければならない。しかし憎しみの感情はなかなか取り除かれることはない。憎しみは怒りの感情のように一時的なものではなく、長年の積み重ねから生じているからである。根雪のようにしっかりと地面に凍りついている。
うつ病になるような人にいま大切なのは「自分を出すこと」である。うつ病になるような人は、長いこと自分の感じ方、自分の考え、自分の印象などを表現して人に好かれようと努力してこなかった。人は自分を出してしまったほうが愛される、しかし「適応した子供」は愛されるためにはお行儀よく振る舞うことだと思い込んでいる。無理をしていない子供のほうが「子供らしい可愛さ」がある。そこで無理をしていない子供の方が愛される。それが素直さというものであろう。逆にいえば素直でなければ何をしても幸福にはなれない。
・人が失敗するのには失敗するだけの理由があって失敗しているのである。あなたはたしかに愚かな生き方をした。ずるい人や卑怯な人に好かれようと無理をして生きてきたのだから。しかしあなたは何も好きこのんで愚かな生き方をしたのではない。止むに止まれぬ心の必要性から愚かな生き方をしたのである。
うつ病になるような人や燃え尽き症候群の人は、周囲の人から不愉快な顔をされると、怯えてどんな嫌なことでも疲れた身体に鞭を打ってしまう。彼らは、周囲の人から責められて生きてきた。したがって大人になった時には、責められていなくても責められていると感じてしまうようになっている。
・自分の人生の目的を持っていないと、周囲の人がその人を振り回そうとしなくても振り回されてしまう。ましてその人を利用しようというようなずるい人が現れた時には、いいように振り回されてしまう。
うつ病になるような人は、いつも何かにしがみついていないといられない。溺れそうになっている者が、浮き輪にしがみつこうとするように、うつ病になるような人は、心理的に溺れそうになって、何かにしがみついているのである。うつ病になるような人に、自分を無にしろといっても、それは難しい。溺れそうな者に、「浮き輪にしがみつこうとするな」と言うようなものである。
・もし自分の人生にトラブルがあることが許せないなら死ぬしかない。
・生きることに疲れたあなたは、休みながら三つのことを自分に質問してみることである。一つは、もしあなたが明日死んでしまうとなったら、いま自分は何をするか?その人たちに気に入られるために最後の力を振り絞るだろうか。
・人生は一度しかない。本当に一回なんだよ。本当に人生は一度しかないと思ったら、自分を無理に欺いて、人に迎合するだろうか。あなたはいままで「人生は一度しかない」と本気で思ったことがないのではないだろうか。もし「この人生は一度しかない」と本気で思ったら、あなたは生き方が違ってくるだろう。
・次に、いまつきあっている人について、「この人たちとどういう人間関係で終わるのか?」を考えてみる。
・最後に、自分の胸に聞いてみることは、「自分はいままで何をしてきたのだろう」と考えたことがあるかということである。
・「失敗するのは、事実を拒み、事実を事実として認めようとしないからです。それを認めれば、それらをただす方法も見つかる」
・過去の心の傷に捕われている人は脳のシングラートという部分が正常に機能していないという。
うつ病者は血中のコルチゾールという副腎皮質ホルモンのレベルが高い。コルチゾールはストレスの際に放出されるホルモンである。免疫機能を抑え、血中のブドウ糖の量を増やす。ストレスなどで副腎皮質からコルチゾールが出続けている。
・そしてこのコルチゾール大脳辺縁系に作用して、セロトニンの受容体を「うつ」のほうに刺激する。コルチゾールが脳に作用してセロトニン受容体のうち2Aを増やす。
うつ病患者は神経内分泌の異常があるのではないかと推測される。つまり、下垂体の分泌異常は、そのコントロール司令塔である視床下部の段階での異常ではないか。
・ストレスの日常化である。常時ストレスにさらされていれば、常時コルチゾールは放出される。
・ストレスは情動を支配する辺縁系に働き、強い不安感、恐怖感、嫌悪感などを引き起こす。これが視床下部に伝えられ、CRHという下垂体のホルモンを出させ、ステロイド分泌系が活性化される。
・いままでの自分の心の世界の歴史を書くのも休むための一つの方法である。心の中をありのままに書くのである。憎らしかったことを憎らしいと書くことである。殺したい人を、「あいつを殺したい」と書くことである。
・立派なことを書こうとすると、いくら書いても心の休養にはならない。人に気に入られたいという気持ちがあると、いくら書いても元気にはならない。
・大切なことは、書くことでうっ積した感情を吐き出すことである。あなたが「あー、この人生は自分のものなのだ」と気がつくまで書くことである。


×
・生きることに疲れた時は、まさにあなたの生き方を変える時である。生きることに疲れた時は、幸運へのターニングポイントである。
・いまあなたが静かに休むことであなたを蔑視する人がいれば、その人はあなたが頑張っている時には、あなたから搾取する人である。そんな人て関係が切れて良かったと思うことがあなたのためになる。
・あなたが休めば、あなたの人間関係が分かる。誰が誠実で、誰が不誠実かが分かる。誰かがあなたを利用しようとしてあなたにお世辞を言っていたのかが分かる。
・その人たちを遠くから見る度に「別れて良かった、もう損をすることはない」という気持ちが強くなる。「もう搾取されない」という安心感が心に広がっていく。
・離れてみると、その人と離れていることが「得していることばかり」であることに驚く。
・自分をあざけった人に執着してはいけない。自分を軽く扱う人は「切れ!」。軽く扱われたことにイライラすることはない。
・手に入らないものをずーっと追いかける。それで一生を終わる。そういう人が案外多い。自分の失った人生への未練で一生を終わる人は多い。送ろうと思えば、目の前に素晴らしい人生があるのに。
・努力と意志だけでは物事は解決できない。上手に生きる知恵が必要である。そうすれば、自分には明るい素晴らしい人生が必ず待っていると信じることである。肯定的なことに心を向ければ、暗い顔をしていたのが、明るい顔になり、何かが違ってくる。生きる姿勢を変えれば、周囲に集まる人も違ってくる。
・そしていつか、「あの過去があったからいまの幸せがある」と思う時が来る。



・そして知らず知らずのうちに周囲に自分をもてあそぶ人を集めてしまう。またずるい人はつねに餌を探しているから、そのように従順な人をすぐに嗅ぎ分ける。そしてその人に近づき、その人から甘い汁を吸うだけ吸う。
・人がマイナスの発想をするのは、認めてもらいたいからである。愛情飢餓感がマイナス発想の原点である。物事の解釈の中にその人の心の底の感情が表現される。人がマイナスの発想をした時に、そのことを考慮に入れないで、「こういうプラスの発想をするべきだ」と言えば、相手を不愉快にするだけである。人は理由もなくマイナスの発想をするのではない。
・「あなたはこんなに色々と持っているではないか」と言うことが意味があるのは、心の底に憎しみのない人である。幸せになりたいという願望が再優先している人である。憎しみを持っている人は、幸せになるよりも、憎しみを晴らしたいのである。相手を責めたいのである。幸せになりたいという願望は優先順位が低い。
心理的にいえば、うつ病になる人は崖っぷちで頑張って縄跳びをしているようなものである。
・人は足で歩いているのではない。人は脳で歩いているのだ。うつ病者はその脳が傷んでいる。
・じっと座って憂うつな顔をしていることが憂うつな人の感情表現なのである。
・「簡単に言えばうつ病の人の脳は年寄りの脳と同じである」といった言葉である。具体的には脳室が大きいという。
・あなたは自分に誇りを持っていない。周囲の人から見れば、あなたが自分に誇りを持っていないのは不思議である。
うつ病者の時間は止まっている。体は現在に生きていても、心は過去の時間に捕われている。
・過去を嘆いていても、いまの現実の問題を解決することにはならないことは、嘆いている本人も知っている。
心理的に病んでいる人には、心理的に病んでしまう理由があって心理的に病んでいるのである。避けようのない運命のもとに苦しんでいるのである。
・現在の学問が証明するところからすれば、あるタイプの脳を持った者が、ある特徴を持った家族の中に生まれたら、絶対に幸せにはなれない。具体的にいえば、抑制型の人、つまり左脳に比べて右脳が活発で、反応しやすい扁桃核を持ち、副交感神経に比べて交感神経が活発な人が、ボールビーの言う「親子の役割逆転」をした家庭で成長したら絶対に幸せにはなれない。生まれてから死ぬまで間違いなくずーっと不幸である。
・生きることに疲れた人やうつ病になるような人には、お金がないことが問題ではない。生きる意欲がないことが問題なのである。
・幼児的願望が満たされていないことから来るストレスはなかなか理解できない。これは具体的に困難のない生活になっても解決がつくものではない。周囲の人にとって、あなたが生きることに疲れたということがどうしても理解できないのはこの点である。表面的に見ればあなたの生活は恵まれている。経済的なに何の問題もある訳ではない。



・暗い顔をした人、恨みがましい顔をした人は、多くの場合、甘えの欲求が満たされていない人である。重苦しい顔をしているのは、「オレの甘えの欲求を満たしてくれ」と心の中で叫んでいるのである。
・外側から見れば「親子の役割逆転」をしている親子関係も、そうでない親子関係も同じように見える。片方は搾取に耐え、殺されることなく頑張って生き延びたのである。普通ならノイローゼになって自滅していてもよい環境の中で生き延びたのである。それは「生き延びた」というだけでものすごいことである。つまり、いま生きているということ自体が奇蹟といえるほどだ。
・よくここまで犯罪も犯さず、自殺もしないで頑張って生き延びてきた。
・心の病弱な子として生まれた人は、いま自分が社会的にまともに生きていることは「とてつもないこと」なのだと評価をしていい。生きることに疲れたあなたは、自分が偉大なことを成し遂げているのだと気がついてほしい。死んで当たり前なのに生きているのである。
うつ病になった時には、いままでの自分の生き方をもう一度ゆっくりと反省する時なのである。自分の人生に与えられた熟考の時間として捉えることである。「いまうつ病になって良かった」と思うことである。
・真面目でも人を信じられなければ幸せにはなれない。愛を信じられなければ幸せにはなれない。人と親しくなれなければ幸せにはなれない。真面目でも人とコミュニケーションできなければ幸せにはなれない。それらのことは心の底に憎しみがあったら無理である。
・生きることに疲れた人は具体的な困難で疲れたのか、それとも本性を否定されて疲れたのか、あるいは現実を受け入れられないから頑張りすぎたのかをいま一度反省することである。もしあなたが現実を受け入れられないから頑張りすぎたのなら、生きることに疲れたこの機会に反省することである。そして自分の限界を受け入れることである。もし周囲から自分の本性を否定されて、生きることに疲れた場合には、回復にはそれなりの時間がかかる。さらに周囲の人に理解を求めても理解を得るのは難しいかもしれない。あるいはいままで「私はこれをしたい」というものが一つもなくて生きてきたのではないか。だとすればそのことも反省する機会である。
・「私はどうしていつもこのような目にあわなくてはならないのですか」という質問の答えは、「自分はこう生きよう」と考えることがなかったからである。
・毎日が面白くないとすれば、それはあなたの毎日の事実が面白くないのではなく、面白さを感じるあなたの心の能力が欠如していることが問題なのである。
うつ病になるような人、つまり生きることに疲れた人は、人から何かをしてもらうことばかりを考える。人に笑顔を求めるが、自分が人に笑顔で接することは考えない。
・極論を言えば、言葉の意味は、その言葉自体よりも、誰が言うかということのほうが重要である。