7月31日はこんな一日でした


①朝起きていいお天気だったので洗濯してすっきり
②大学のOBOGが中心となって結成されているメサイア合唱団の懇親会に参加
 →軽食として用意されていたサンドイッチを少しつまむことができて、
  心の中で小さくガッツポーズを取りながら諸先輩方と歓談
メサイア合唱団の練習をみっちり3時間
 →Amen Chorusとか本番乗り切れるのかどうか不安になってきたけど、
  久々にお腹の底から息を送ってAとかまで出して(出せて)気分も高揚。
新宿三丁目の素敵なお花屋さんで、合唱部有志から北海道の彼へ送るお花を注文
伊勢丹で友達と一緒に1時間以上コスメを物色
 →アルビオンのコスメはやっぱりすごくて26000円分も買っちゃった!
⑥友達と一緒に夜ご飯におうどんをいただく
 →半分くらい食べましたよ!
⑦帰宅


とこういう風に書くとなんだかスムーズに1日が過ごせるようになったように見えますね。


実際、一生懸命歌とか歌ってる間は、「何かに打ち込むって大事なことなんだわ」とか
一瞬ちょっと本気で思ったはずなのですが、次の瞬間には、
「でもこうやって歌ってることに何の意味があるんだっけ?」
             ↓
「わたしは歌で食べていくわけじゃないし、何の価値も生み出せてないよね?」
             ↓
「でも、世の中には自分が楽しいと思えることをして人生過ごせればそれでいいって言う人もいるから、
 案外これがそういうことなのかもよ?」
             ↓
「そんなのってただの自己満足じゃん。気持ち悪い。だいたいこれのどこが楽しいわけ?」

ということになり、結局、わたしは歌を歌ったりステージを作り上げることによって
自己満足(陶酔)がしたいんじゃなくて、その様子を誰かに見てもらうことで
自分の存在価値を認めてもらいたいだけなのだということがわかりました。
実は合唱なんて全然好きじゃないみたいです。


アルビオンのカウンターでお姉さんがきれいにファンデーションやチークを施してくれた時だって、
その瞬間はなんだかすごく嬉しかったのに、次の瞬間には、
「でもこうやって肌とかを取り繕うことに何の意味があるの?」
             ↓
「もうこの先長く生きるつもりもないんだから、アンチエイジングとか何の意味もないよね?」
             ↓
「でも、世の中には女として生まれたからには、いつも綺麗でいたいって言う人もいるから、
 案外こういう風にしてみるのもいいんじゃない?」
             ↓
「そんなのってただの自己満足じゃん。気持ち悪い。だいたいこれのどこが綺麗なわけ?」


ということになり、結局、わたしは自分の肌を綺麗な状態に保つことによって
自己満足(陶酔)がしたいんじゃなくて、その様子を誰かに見てもらうことで
自分の存在価値を認めてもらいたいだけなのだということがわかりました。
実はお化粧も全然好きじゃないみたいです。


パン作りにしろ、なんにしろ、結局全部そうなんです。
(語学だけはちょっと違うような気もするけど・・・それも「語学が好きな人」て見られたいだけなのかなあ。)


今、友達に会って話をしようとか言っていることもあるけれど、
どうせ殆どの人とはそのうち何かのきっかけで離れてしまい、
別々のところで人生を過ごしてやがてそれぞれの死を迎えるわけだから、
この時期に1〜2時間くらい会って適当にお茶でもしながら過ごすことに何の意味があるんだっけ?
と自分で自分の頭を疑うようなことまで考えてしまいます。


つまりこういうところが、マイナス思考と呼ばれるのでしょうね。
わたしとしては物事を悲観的に捉えているつもりはなく、
こういう瞬間的な快楽に溺れることの無意味さを感じて厭世的になっているだけなのですが・・・
そんなこと言ったら、「どうせ死ぬのになんで生まれてくるんだ」っていう問いに行き詰まっちゃうのかなあ。


そんなこと考えてたら、せっかく食べた夜ご飯も殆どもどしてしまったし、
泣いてしまってマスカラも全部落ちてしまいました。あーあ。ばっかみたい。


とりあえず寝ます・・・。