3分の1

今日話をしていて一点心にひっかかったことがあったのでつらつらと書いておきます。
(頭が痛くてなかなか眠れないし…)


わたしはこの世に生を受けてから28年間を過ごしてきたのですが、
仮にこれから現在の平均寿命まで生きると考えても、
もう3分の1くらいは終わってしまっているわけです。
それなのに何なんでしょうか、わたしのこの何もしてなさ具合は。
28年かけて形成されたこの駄目なわたしをある程度まともな人間にするためには
同じかそれ以上の時間を要するでしょうから、
やっと一般的な同世代の人と同じ目線で話ができるようになったと思える頃には、
身体にもいよいよガタがきてもう終わりが見えているというわけです。
…なんだそれ?そんな人生なんか意味あるのかしら?
というか、人生の最初の3分の1の重要性はもっと認識されなくていいのでしょうか?
ここで失敗してしまうとその後の3分の2が台なしになってしまうんですよ?
その割にはわたしを含めみなさん安穏と過ごしてらっしゃるなあ…と思います。
多分、人が一生のうちにできることなんてほんとに少ないのでしょうけど…。
(まあそれも志の問題だとは思いますが…)


以前、イギリス人の英語の先生に「君が人生をむなしいと感じているのは君が若い証拠だよ」
という風に言われたことがあります。
もっと年齢を重ねて、自分のmortalityをいやでも意識するようになったら、
むなしいなんて感じてる場合じゃなくなるから、とのことでした。
確かにそうかもしれません。わたしに与えられている時間は永遠じゃない。
心底そう思っていたら、「よりよく生きるために」という理由でこんなにのんびり休んだりできません。
もうできるだけ寝たりなんかしなくていいから、一日一日をなるべくドラマチックに過ごせるよう努力すべきだと思います。
それで疲れて擦り減ってしまったとしても、ドラマチックなまま終わるのでしたら本望です。
でもそうしたら平凡な日常生活って一体何なんでしょう?
身体が資本だからとか言って自分を慈しむこと(よく「ご自愛ください」と言いますよね)って一体何なんでしょう?
なんでどうせ死ぬのにそんな小さい、つまらないことを大切にしなくちゃいけないんでしょうか?
…もしかしてこういうのが喫煙者の気持ちなのかな。
効果があるかどうかもわからないのにちまちま健康に気を使って煙草を控えたりするよりも、
どうせいつか終わるんだからと明らかに健康には悪いけど今やりたいことをやってしまうっていう。


と、こんなことを考えている時点でわたしはやっぱり精神的にまだまだ未成熟なのかもしれないと思いました。
まあそもそも、明日、事故や何かの衝動や天災で死んだら、それで全て終わりです。ふーん。